先日、近くのお寺で行われた、聞法会に参拝してきました。
他宗の坊さんが何で来ているのだと、参拝者からは好機の目線を感じながら。
お話は、「真宗の仏事へのお参り」
○永代教・彼岸会とは。聞法会・報恩講とは
○今現在説法とは
○無問自説経とは
○阿弥陀仏って本当にいるのか
○極楽・浄土って本当にあるのか
○阿弥陀仏が呼びかけているって、聞こえてくるのか
という浄土真宗の基本的なお話でした。
宗派は違いますが、お釈迦様の教えには変わりもなく、共感できることは沢山ありました。
というか、お念仏と坐禅と修行方法は違っても求めているものは一つです。
なぜ、私がその聞法会に参加しようと思ったか。
それは、そのご院さん(和尚さん)が末期のがんであること。
元気そうにお話はされていましたが、いつ熱が出て、入院されてもおかしくない体で、お話をされているその姿をしっかり目に焼き付けておきたかったからです。
このゴールデンウィークまでは、手術するか悩まれたそうです。
でも、手術は止められたそうです。すると、何か吹っ切れたところがあったとか。
「今まで、朝起きても何も感じなかったけど、今は、朝起きたとき、まだ、生きているのだと思う。」
「コロナで亡くなったのではなく、命が終わったから、亡くなったのだ。生きてると必ず死ぬだけ。」
とは、その言葉には命の叫びを感じました。
今生きてこうしているのは、当たり前ではなく、奇跡です。
生かされているこの命を感じさせて頂いた、一時でした。
その命つきるまで、私はあなたから学ばせてください。
今まで、色々ありましたが、それはお互いの煩悩の衝突にすぎません。
その命しっかり、見つめております。