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三重県いなべ市の禅寺、鳴谷山聖宝寺(めいこくさん しょうぼうじ)

さるのおんがえし

聖宝寺と山麓の鳴谷神社には、平安時代に伝教大師が聖宝寺観音堂を開かれた際に、お猿さんが建立を手伝ったという逸話が猿の狛犬石像と共に残っています。
ここでは、藤原町民話研究会発行の絵本にて、その逸話をご紹介します。

さるのおんがえし

猿の恩返しp1

へいあんのむかしのはなしだそうな。
やまにかこまれたうつくしいむらに
おかやまというところがあったそうな。
あるひのこと
ひとりのたびのおぼうさんが、
やってきたそうな。
おぼうさんは、あしをひきひき
たいそうおつかれのようす。
「やれやれ、つかれた。おお、このかれきで
ひとやすみでもしよう。」
と、こしをゆったりおろそうとすると、

猿の恩返しp2

どこからか
「きいっ、きいっ、ききいっ
きいっ、きいっ、ききいっ。」
と、えらくおおきいひめいがしたそうな。
「おや、だれか、ひめいを あげている。
なにごとだ。」
びっくりされたおぼうさんは、
こえのするほうへちかづいていったそうな。
なんとそこにはわなにかかり、
くるしんでなきわめいている
おさるさんが おったそうな。

猿の恩返しp3

おぼうさんは、さっさとちかづき
「おう、おう、かわいそうに。
わなからはずしてやるからな。」
と、あしにはまったわなを
とってやったそうな。
おさるさんは、おおよころび。
「ありがとう。ありがとう。」
と、なんどもなんども
あたまをさげさげ
やまのなかへきえていったそうな。

猿の恩返しp4

しばらくあるいていくと
こんどは、むらびとにあったそうな。
よくみると、しくしくしくしくないておった。
「なにがかなしくてないておるかな。」
「はい。このむらにわるいびょうきが
はやっております。きょうもひとり
なくなってしまいました。」
とかなしそうにはなしたそうな。
そこで、おぼうさんはむらびとを
びょうきからすくうために
おいのりをすることにしたそうな。

猿の恩返しp5

つぎのひのあさ
おぼうさんは、こだかいおかにのぼり、
てんにむかって、
「どうぞ、むらびとのやまいが
なおりますように。」
と、こころをこめて
むらびとたちのために
いっしょうけんめいおいのりを
したそうな。

猿の恩返しp6

おいのりがはじまって
ちょうどみっかめのよるのこと。
おいのりをしていると、おおやまのかなたから、
むらさきいろのくもにのった
かんのんさまがぱっとあらわれたそうな。
そして、
「ここよりさきに、おおきなたきがある。
そのそばにてらをたて、かんのんさまを
まつるがよい。そうすればむらびとの
やまいは、なおるであろう。」
と、いいのこし、ふたたびかんのんさまは、
やまのかなたへと
さっていったそうな。

猿の恩返しp7

おぼうさんはかんのんさまのいわれるとおり
ずんずんとやまのおくへはいっていくと
ぎんいろにきらきらかがやく
それはそれはうつくしい
おおきなたきがあったそうな。
「おお、これがかんのんさまがいわれた
たきだ。なんとうつくしいたきだ。」
と、たいそうかんどうされたそうな。

猿の恩返しp8

そして、おぼうさんが、それからというもの
ぎっこぎっこときをきって、
せっせせっせとくさかって、
がっこがっことつちけずり、
おてらづくりにはげんだそうな。
それをみていたいつかのおさるさん
なかまをつれてやってきた。
たすけてもらったおんがえしにと、
おてらづくりにはげんだそうな。

猿の恩返しp4

やがて、やまのようすにきがついた
むらびとたちは、
おてらをたてるのなら
「わたしもてつだわせてくだされ。」
「わたしもやらせてくだされ。」
と、おぼうさんのところに
こえかけおうて
あつまってきたそうな。

猿の恩返しp10

そしておぼうさん、おさるさん、むらびとが
ちからとこころをあわせ
せっせせっせとはたらいたそうな。
やがてそれはそれはりっぱなかんのんどうができたそうな。

猿の恩返しp11

それからというもの
かんのんさまのいうとおり
むらびとのびょうきも
すっかりなくなり
また、もとのように
むらにへいわがもどってきたそうな。
めでたしめでたし

このかんのんどうとは、
いまもさかもとのおやまにある
しょうぼうじのことです。
おてらをひらいたおぼうさんは、
でんぎょうだいしという
えらいおぼうさんだったそうです。
かんのんさまは、いまもおおくのひとびとの
しんこうをあつめ、
ひとびとのこころのささえになり
まもってくださっています。

猿の恩返し裏

『さるのおんがえし』編集後記

二十一世紀を迎え、二十一世紀の子供達に伝えたい事で何か良いものはないかと思っておりました。

今年の春、藤原町に伝わる民話の内、坂本の聖宝寺の由来、伝教大師が観音堂を開かれた時に、おサルさんがお手伝いしたその内容の「猿の恩返し」を絵本にして、鳴谷神社のお猿さん狛犬石像の下で、子供達に読み聞かせをしている西藤原幼稚園の森早苗先生の話を聞いた時、「これだ!」と思いました。

平安時代に伝教大師が開かれたと言う由緒のある聖宝寺、山麓の鳴谷神社という神社には、お猿さんの狛犬石像があり、関連した昔話が伝承されていました。 奈良時代以後、神仏習合説と言って神仏は一体であると言う説の時代があり、当地でも聖宝寺・鳴谷神社が一体で、お仕えの動物がお猿さんと言う伝承が残されています。

そう言った歴史から、この絵本のような民話が生まれたものと思われます。 まさに、この「さるのおんがえし」は故郷の民話なのです。

早速、幼稚園へ行き、絵本を拝見させてもらった処、すばらしい絵が描かれていました。同幼稚園の林道子先生・藤井とし子先生から、これを発刊出来ないだろうかとの相談を受け、早速、昔から藤原町にある民話研究会の三輪玉尾先生・三羽光次先生を訪問して、相談しました処、良い企画として賛同の了解を得ることが出来、以後、再々、ご指導を受ける事となりました。

また、民話研究会を再発足し、藤原町図書館の藤田絹子さん、聖宝寺の中井昭英和尚にも見てもらったり、西藤原小学校の梅山憲三先生・川出真季子先生にも見てもらったりしている内に文字や文章は、この方面に堪能な同小学校の位田あけみ先生にお世話になる事となり、こうして、立派な絵本が誕生しました。

一番初めに原画に接して依頼、民話研究会を再発足し、多くの人に藤原町最初の絵本発刊を理解してもらい、それぞれが役割分担し、文字を書いてもらい、文章を検討してもらい、時代考証とか、発刊企画とか、忙しい中に夢のある充実した毎日を過ごさせていただきました、この絵本が一人の力で無く、多くの民話研究会の方々の力と知恵で出来たのだと言うことを知ってもらいたいと思う次第です。

始めは、コピー本で五十冊程度の企画でしたが、日之出印刷さんのご指導で印刷をする事となり、ささやかなる企画、夢の企画が多くの民話研究会の皆様のご協力で、今回、発刊される事は、この上なき喜びであります。改めまして、関係各位の先生方には御協力の御礼を申し上げたいと思います。 絵本は、これを機会に、藤原町内の民話を商会する続刊も計画しておりますので、今後も、関係各位の温かいご指導とご鞭撻をお願いする次第です。

藤原町民話研究会 代表 藤井樹巳 平成十三年 九月

さるのおんがえし
発行日 2001年9月1日
発行者 藤原町民話研究会
森 早苗
文・文章 位田あけみ
印刷 (資)垂井日之出印刷所