和尚のブログ

2015-2-28

寺離れでなく、宗派離れ

最近坊さん仲間でも良く耳にする言葉「寺離れ」。私も最近までは、行事に参加する人が減り、お布施も減り(大きな声では言えないことですが、)由々しき問題だと思っていました。

ところがそれは、違うことが分かりました。

昨年の「もみじ祭り」最終日のことです。ライトアップはしていましたが、雨で来山者がまばら。それでも、浄土真宗の「ごえんさん」が辻説法をしてくれると言うことで、本堂に人集めを始めました。手伝いの和尚さんは勿論、ボランティアの方も一生懸命に来る人来る人に声をかけてくれました。

そして、30人位の方々が集まり、お話がスタート、20分位のお話が終わり、帰って行く皆さんの顔が満足していました。半分の人はお寺にお参りに来た人たちですが、後の人は、もみじを楽しみに来た観光客の人たち。ですから、観光客の人たちにとって、法話を聞くことはもともと興味がなかったのです。でも、法話と云う法のシャワーを浴びて、仏法の素晴らしさを感じてもらえました。

『有難いお話を聞かせて頂いてありがとうございます。』『心が軽くなりました。』『雨やでやめようかと思ったけど来て良かった。』『お寺は良いですね』

と言う声掛けをしていただいてお帰りになりました。

寺の年中行事にお参りに来られる方が減ったのは、欲してもいないことに半ば強制的に行くことが嫌なだけで、興味を持っていることならお寺に足を運ぶと言うこと。もっと自由に宗派を越えて、自分の求めている教えを聞ける環境があれば、人はお寺に来る。

つまり、江戸時代に半ば強制的に決められた宗派では、満足できていない。檀那寺に対して満足できないことが分かりました。

もっと、お寺が自由に仏法を伝えるようになれば、宗派にこだわらずに仏法を伝える手段を持てば、人は来られます。

お寺さんがこれを読めば、たぶん、非難囂々でしょう。でも、救われたい人たちの立場に立たないとお寺は衰退していくでしょう。

宗派を問わず、聖寶寺は、皆さんをお受けします。そして、皆さんの合う宗派があればご紹介します。仏教には壁はありませんから。

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