和尚のブログ

2014-4-10

「観自在とは、異人にあらず。汝、諸人これなり。」(天桂伝導禅師)

いよいよ春が深まってきましたね。 

天桂伝導禅師は江

戸時代中期の曹洞宗の禅僧です。紀州のご出身で、窓養寺の伝弓禅師に仕え御修業されて、尾張万松寺の祖海禅師から碧巌録を学び、各地を托鉢しながら廻られた方です。晩年は、紀州に戻られて、唯摩経・碧巌録・般若心経を若い和尚さん方はもちろん、地元の方々に説かれたとのことです。今月の言葉は、そんな勉強家の和尚さんのお言葉です。観音様を拝むと言うことは、外にある対象を崇拝することではありません。他ならない自分を拝むことです。自分の中の尊さを拝むことにほかならない、というのです。 私もそうですが、貴方も観音様に手を合わせたときには、目の前にいらっしゃる観音様にお願いしますよね。でも、そこに見えている観音様は、鏡なんです。私も毎朝、観音様に拝んでいます。そして、「どうか借金がなくなりますように。」とお願いしています。それは、観音様に拝んでいるのではなく、観音像を通して、自分の中にある、観音様に拝んでいることになるのです。お願いすることは悪いことではありませんが、頼んでいるのは自分自身であることを忘れないでください。私も、借金がなくなるために、支出を控え、すこしでも多くの方から、お布施して頂けるよう精進するのだと、己に言い聞かせているのですよね。 自分の中の観音様に手を合わせて、こうして今日も生きてこられたのは、観音様のお陰ですと感謝し、今日至らなかったこと等を反省し、内観するのです。それが、観音様への信仰の一歩ですよ。御利益は、後から付いてくるものです。御利益ばかりを望んで拝んでも、叶いませんから。私が言うのも何ですが。 だからといって、拝むのを止めたら、叶うものも叶いませんので。「観自在とは、異人にあらず。汝、諸人これなり。」貴方にも観音様がおられます。

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