存覚(ぞんかく)上人は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての初期浄土真宗における優れた教学者です。じみょうしょうには、まず生死を離れ仏道を求めるべきだと述べられ、求道心を確立しなさいと勧め、そして仏教に八家九宗あるなか、聖道門の教えを捨てて、念仏往生の一門に帰すべきことが説かれています。
米を収穫しようと稲を育てる者は、同時にわらも手に入れられるように、来世における安楽・成仏を視野に入れて人生を歩むならば、現世における願望も成就してゆくものであるという意味です。
現在は、科学が発達して、あたかも人間は全てのことが分かっているかのような誤解をしています。しかし、この世だけが全ての世界なのでしょうか?死後の世界は果たしてないのでしょうか?こんな話をし出すと、うさんくさく感じる人が多くいますが、見える世界だけが全てではないと、私は確信しています。なぜなら、先に行った次男が死後の世界で私達家族を待っていることを感じているからです。
だからなんだと、思われるでしょうが、じごのせかい、後生を信じたなら、死の恐怖が消えました。そして、今世ー今生きている世界でしっかりと生きて、徳を積んでおけば後世でちゃんとその徳の報いが帰ってくると思えたとき、全てが無駄でないと思えるではありませんか。今の世が本当にすべらしい世界だと感じられます。存覚(ぞんかく)上人は、そこがいいたかったと思います。後世を信じていれば、今の世が素晴らしい世界になると。後世を信じて、お念仏に坐禅にお勤めに励みましょう。
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2013-10-15