和尚のブログ

2013-12-26

「泰山は土壌を譲らず、故に能くその大を成す。河海は細流を選ばず、故に能くその深を就す。」(史記より)

 泰山がおおきな山になったのは、どんな土でも辞退することなく受け入れたからです。また、大河も大海もどんなに小さな川の水でも受け入れたから大きく深いものになったのだという意味です。
 受け入れていくことは、言葉では簡単ですが、いざとなると、自我の我が邪魔をしてなかなか受け入れられない物です。しかし、今貴方の周りでおきている良いことも悪いことも全て受け入れたなら、貴方自身も楽になりますし、周りも貴方を受け入れてくれます。お釈迦様は身を以てこれを証明してくださっているお話しがあります。
 お釈迦様がコーサンビーの町に滞在していたとき、釈尊に怨みをいだく者が町の悪人を買収し、お釈迦様の悪口を言わせた。お釈迦様の弟子たちは、町に入って托鉢しても一物も得られず、ただそしりの声を聞くだけであった。その時アーナンダはお釈迦様にこう言った。「釈尊よ、このような町に滞在することはあり得ません。他にもっとよい町があると思います。」「アーナンダよ、次の町もこのようであったらどうするのか。」「釈尊よ、また他の町へ移ります。」「アーナンダよ、それではどこまで行ってもきりがない。私はそしりを受けたときには、ジッとそれに耐え、そしりの終わるのを待って、他へ移るのがよいと思う。アーナンダよ、仏は利益・害・中傷・ほまれ・たたえ・そしり・苦しみ・楽しみという、この世の八つのことによって動かされることがない。こう言ったことは、まもなく過ぎ去るであろう。」とお釈迦様はすべてを受け入れよとおっしゃっているのです。「泰山は土壌を譲らず、故に能くその大を成す。河海は細流を選ばず、故に能くその深を就す。」

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