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一日一度、疫病退散のために | 和尚のブログ | 鳴谷山 聖宝寺(めいこくさん しょうぼうじ)

和尚のブログ

一日一度、疫病退散のために

今こそ、自宅で自分磨きをするときです。

ゲームや動画もいいけど、私と一緒に般若心経を唱えませんか?

摩訶般若波羅蜜多心経)
(まかはんにゃはらみったしんぎょう)

観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄
かんじざいぼさつ ぎょうじんはんにゃはらみたじ  しょうけんごうおんかいくう どいっさいくやく

舎利子 色不異空 空不異色 色即是空 空即是色 受想行識亦復如是
しゃりし   しきふいく    くうふいしき   しきそくぜくう  くうそくぜしき  じゅうそうぎょうしきやくぶにょうぜ 

舎利子 是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減
しゃりし   ぜしょうほうくそう ふしょうふめつ ふくふじょう  ふぞうふげん

是故空中 無色 無受想行識 無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法
ぜこくうちゅう むしき むじゅそうぎょうしき むげんにびぜつしんい むしきしょうこうみそくほう 

無眼界 乃至無意識界 無無明亦 無無明尽 乃至無老死 亦無老死尽
むげんかい ないしむいしきかい むむみょうやく むむみょうじん ないしむろうし  やくむろうしじん 

無苦集滅道 無智亦無得 以無所得故 菩提薩埵 依般若波羅蜜多故
むくしゅうめつどう むちやくむとく   いむしょとくこ    ぼだいさつた  えはんにゃはらみたこ 

心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖 遠離一切顛倒夢想 究竟涅槃
しんむけげ   むけげこ    むうくふ     おんりいっさいてんどうむそう くぎょうねはん 

三世諸仏 依般若波羅蜜多故 得阿耨多羅三藐三菩提
さんぜしょぶつ えはんにゃはらみたこ    とくあのくたらさんみゃくさんぼだい 

故知般若波羅蜜多 是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪
こちはんにゃはらみた    ぜいだいじゅんしゅう ぜだいみょうしゅう ぜむじょうしゅう ぜむとうどうしゅう

能除一切苦 真実不虚 故説般若波羅蜜多呪 即説呪曰
のうじょういっさいく しんじつふこ こせつはんにゃはらみたしゅう そくせつしゅうわつ 

羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶
ぎゃてい ぎゃてい はらぎゃてい はらそうぎゃてい ぼじそわか 

般若心経
はんにゃしんぎょう

(書き下し)
観自在菩薩(かんじざいぼさつ)は、深(しん)なる般若波羅蜜多(はんにゃはらみった)を行ぜし時、五蘊(ごうん)皆(みな)空なるを照見し、一切の苦厄を度したまへり。

舎利子(しゃりし)よ、色(しき)は空に異ならず、空は色に異ならず。色即ち是(これ)空、空即ち是色。受想行識(じゅ、そう、ぎょう、しき)もまた是(かく)の如し。

舎利子よ、是の諸法の相は空にして、生ぜず、滅せず。垢ず、浄からず。増さず、減らず。

是の故に、空中に色無く、受想行識無く、眼耳鼻舌身意無く、色声香味触法も無し。

眼界も無く、乃至意識界も無し。無明も亦(また)無く、無明の尽くるも無し。乃至、老死無く、亦老死の尽くるもなし。

苦集滅道も無く、智も無く、亦得(とく)も無し。得る所無しを以ての故なり。菩提薩埵(ぼだいさった)は般若波羅蜜多に依るが故に、心に罣礙(けいげ)無し。

罣礙無きが故に、恐怖(くふ)有ること無く、一切の顛倒(てんどう)せる夢想と遠離(おんり)して、涅槃を究竟(くぎょう)せり。

三世の諸仏も般若波羅蜜多に依るが故に、阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼーだい)を得たまへり。

故に知る、般若波羅蜜多は是れ大神呪(だいしんじゅ)なり。是れ大明呪(だいみょうしゅ)なり。是れ無上呪(むじょうしゅ)なり。是れ無等等呪(むとうどうしゅ)なり。

能く一切の苦を除き、真実にして虚しからず。故に、般若波羅蜜多の呪を説けり。即ち呪を説ひて曰はく

羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶

般若心経

(訳例)
(これは、人智を超えた般若波羅蜜多についての心経である)

全てを識り、全てを見る聖者アヴァローキテーシュヴァラ(観音菩薩=観自在菩薩)は、深遠なる悟りを得る修行の中でこの世の五蘊(色蘊・受蘊・想蘊・行蘊・識蘊、後述)には実体がないことを明らかにした。この発見により、苦しみは全て解かれよう。

シャーリプトラ(舎利子、仏陀のもっとも古い弟子の一人)よ。この世の形あるもの全てに実体というものはない。実体がないままに形を作っている。形あるものには実体がなく、実体がない故に(あらゆる)形を得る。感じること・気づくこと・思うこと、そして知ること(これら心で作用すること全て)もまた同じだ。

シャーリプトラよ。全てのことに実体はないのだから、全ては生まれもせず、滅することもなく、汚れているということもなく、清らかであるということもなく、増えることもなく、減ることもない。

つまり、実体が無いこの世の真実の世界においては、全て存在しない。真実の世界においては、形作っているもの・感じること・気づくこと・思うことを知ることもなく、目・耳・鼻・舌・感触・意識(肉体で感じること全て)もなく、景色・声・匂い・味覚・ぬくもりも、その相手も、全て存在しない。眼に見えるものと、それによって心のなかで生じたことも、全て存在しない。これら存在しないものへの無知からくる悩みもない。けれどもその悩み自体は尽き果てることもない。この世では老いるということも死ぬということもないままに、老いも死も尽き果てない。苦しみなどない。故にこの世では苦しみを滅する道も、それを知ることも、得ることもない。得ることもないから、苦しみを知る者(菩提薩埵)は、この発見(般若)によって、こだわりをもたず、こだわりがないから、恐れもいだかず、全ての夢想からはなれて、静かなる心の世界(涅槃、ニルヴァーナ)へと至るであろう。

こうした過去・現在・未来(三世)の諸仏は、この深遠なる発見(般若波羅蜜多)によって、悟り(阿耨多羅三藐三菩提)を得る。

故に知れ。この発見(般若波羅蜜多)を述べるこの大いなるマントラ(まじないの言葉)は、明らかに、この上もなく、並ぶこともない呪(言葉)であると。全ての苦しみはこれにより解かれ、そこには真実のみがあり、偽りはない。
故にこの般若波羅蜜多の真言は、

「羯諦 羯諦 (ガテー ガテー:往ける者よ)
波羅羯諦  (パーラガテー:悟りの境地に往ける者よ)
波羅僧羯諦(パーラサンガテー:悟りの境地を往った者が)
菩提     (ボーディ:”菩提”である。)
薩婆訶   (スヴァーハー:幸いあれ。)」

これが真実の悟りの教えである(般若心経)。

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